【神の手】

これは普通の人にはできない。この先生だからこそという尊敬の念を込めて語られるのが「神の手」なんだと思う。僕が見聞きして、今でもそう思っているのは二人。普遍的な評価ではなく、あくまでも僕自身の感想だけどね。
当院にも福島先生っていう神の手を持つ先生が定期的に診察にいらっしゃるけど、脳外科のことはよくわからないので、対象にはさせてもらっていない。

その一人は故人だけど、母校の自治医科大学の初代学長中尾先生。
直接目にしたわけではないけれど、僕が学生のときに聞いた逸話。ある教授が研修医だった頃、中尾先生の診察に唸らされたというものです。
そのころ学長は東大の教授だった。研修医は不明熱の患者さんの診察で原因がわからず、診断に難儀していた。
あるとき教授回診で中尾先生が徐(おもむろ)にお腹の診察をして、「脾腫がある」と仰った。確かに脾臓を触れる。結局ALLだった。研修医はその前の診察ではお腹を診察することを怠っていて、恥ずかしい思いをしたというのです。
当時はCTはもちろん、超音波すらなかった時代だから、触診、聴診、打診が現在よりも数倍有用性が強調されていた時代だからね。
中尾先生はHarrisonの内科学書の新版が出る度に通読して読破すると仰っていました。内科学に精通していたからこそ診断できたのでしょう。50年以上も前なので、診断機器に依存するのではなく、手当をして診断することを大切にされていた時代の逸話として、こころに残っている。

もう一人は先の阿部先生。僕が4年目のペーペーだった頃。利尻島で診療していたころ、高校生の女の子が発熱で来院した。聴診でも異常なく、風邪でしょうと処方して帰した。翌日回診するとその子が入院していた。大学の先輩である院長の阿部先生に聞くと具合が悪くて夜間救急を受診して、入院させたというのだ。診断は肺炎。胸部単純X線写真を見ても確かに肺炎。見落としたのかと思って、もう一度聴診をさせてもらったけど、やはり呼吸音は正常。不思議に思ってどうして肺炎の診断をされたのか聞いた。
「確かに呼吸音はほぼ正常だよな。でもよーく聞くと少しだけ呼気終末にcrepitationを聴取する」
なのにどうして胸部X線を撮ったのですか?
「打診だよ。左上背部だけがdullだったんだ」
打診!!?肺炎の診断に・・・ですか?
「ある程度の炎症の領域があれば、打診で共鳴がないから、dullになるんだよ。むかし堅気の診察ではあるけどな。最近の若いもんは咳があるだけですぐにCTを撮ろうとする。そりゃCTでももちろん診断はつくさ。でもそれじゃあ、自分の力で診断したことにならないだろう?ひとつひとつの診察所見を大切に診てゆくことが内科医の務めなのさ。」
肺炎を打診で診断する先輩の手を見て、僕は紛れもなく「神の手」だと思ったね。これぞ内科医の鑑だなって。

「神の手」は技術に優れることではないと思う。鬼手仏心というか思慮深いこころがあって初めて体現されることなんだと思う。
患者を診たときに、なんとかよくしてあげたい、診断して治療してあげたいという医師の気持ちに裏打ちされているのだと思う。

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