医療行為の中では自分に基準をおいてはだめだよ。
相手に合わせて、話をすることが大切。
おじいちゃんやおばあちゃんに理論を振り回して、早口でまくし立てても理解してもらえないでしょ?
それがたとえ医師としての正論であっても、相手を論破してしまっては、相手から信頼は得られない。
認知症の患者さんに声かけをして返事がなくても仕方がない。
だから、ぼくらもいつのまにか無言で診察だけするようにしてしまうことがある。
でも、たまに看護師が返事をするはずのない患者さんに普通の語りかけをしているのを見ることがある。
返事もできないのどうして?と思うのだが。
君ならどう思う。
「そんなことしても仕方がないと思いますが・・・」
たとえば赤ちゃんに接する時はどうだろうか?
あやせば笑うけど、新米のママさんはふつうに話しかけるよね。
「おなかすいてないですか?」
「うんちはでないかな?」
僕はこの看護師さんを見て、これは母性本能を持つ女性だからできることなのかなと思ったよ。
どうせ話しかけても返事はないからと要領よく処置だけをするのと、赤ちゃんをあやすように声かけをしながら手当をしてあげるのって、気持ちの持ちようかもしれないけど、違うよね。
自分が持つ価値基準だけで排他的に接することは医療の中ではすべきではない。
判断すべき基準は自分の中にあるのではないのだ。
自分の物差しで相手を計ってはいけない。
どうすべきなのか、どうしてもらうのがいちばんよろこんでもらえるのかというUniversalな 物差しで、相手をいとおしむ気持ちを持つことが大切なのだ。