この違いってわかるかい?
「なんとなくわかるようなわからないような・・・」
患者さんから、このようなことを語られたことがあるんだ。
永年連れ添った奥さんに先立たれたあとに、受診に来たおじいちゃん。
恰幅のいい方だったけど、入ってくるなり一回り小さく感じた。
どうかしましたか?
「ようやく初七日が終わったばかりなんです」
と言うなり、声もなく目が潤んだ。
ずいぶん前から外来に来るたびに話は奥さんのことだった。
「もう永くはない・・・」
この日その言葉を聞いた後、僕から次の言葉はかけなかった。気持ちの整理をしたいのだと思った。
そのあとの言葉が
「娘たちも帰って、家で一人になってしまったんです。もちろん家内は入院していたから、一人暮らしは長いし、慣れてはいるんだけど・・・。でも家内はもういなくなってしまったんです。哀しさはだいぶなれてきました。ある程度その時を覚悟もしていましたしね。でも淋しさは・・・日に日につのる」と。
哀しさと淋しさは違うんですね。
「それを実感している。起きて、食事をして、テレビをみて、風呂に入って、いつもいるはずの連れ添いがもういないということに頭ではわかっても気持ちがもたない」
しわだらけのほほをゆっくり涙が段々に落ちてゆく。
胃薬だけをもらいにくるこのおじいちゃんにとって、僕の診察は月一回の気持ちを吐露できる場所でもあるのかもしれない。
外来は必ず答を出さなければならない場所でもない。
患者さんに安心感と満足感を提供できれば最低限の役割は果たせるのだと思う。