やはりCTを撮ろう。
「はい」
造影にするか?単純でいいか?
「造影にしましょう」
どうして?
「え?だって、救急外来では造影CTを撮るんじゃないですか?」
質問を変えよう。造影と単純の違いはなんだ?
「造影は造影剤を使って、血流のあるところが見えやすくなります。」
そうだな。じゃあ単純は見えにくいのか?
よく単純と造影両方撮影依頼する医師がいるが両方必要なのか?
「・・・考えたことなかったです」
そうだろう。みんながそうするからそう考えただけだろう?
大切なことは病態をイメージすることなのさ。例えば尿管結石を見つけようと思ったときに、はたして造影CTで見えるだろうか?SMA血栓症の症例を単純CTで診断できるだろうか?
もちろん結果として、予想だにしなかった病態が写真に写ってくることはあるさ。
でもすべての患者さんにCTをそれも単純と造影両方撮ることが本当にいいことだと思うかい?
僕らが常に考えるべきなのは必要最小限の医療資源を活用するということなのさ。
それが医療経済上にも大切なことで、医療費の抑制にもわずかながら役立てられる。でも、それ以上に患者毎の病態を考えながらテーラーメードの検査を考えることで、君自身の「医者頭」が形成されるんだと思う。患者の診断を検査のベルトコンベヤーに乗せて得ようと思っちゃちゃあだめだよ。君自身の思考という手押し車で患者さんをゴールまで運ぶんだ。そういう気持ちがなければいい診断はできない。ある意味CTは玉手箱なんだよ。
うーん診断がつかないからCT撮っちゃえ。写真を診て、なんだこんな病気があるじゃん。やっぱCT撮って正解。そう考えているようでは、君自身の診断能力の向上も進歩もないだろう。
検査をオーダーする時はその検査の必然性とその結果をあらかじめ予測しておくことが大切なのさ。そうしないと経験だけでは5年経っても診断能力は今とさほど変わらないよ。
ベテランになれば結果オーライでいいかもしれない。
でも研修医の今の時点では結果よりもその経過を考えることや施行過程を熟成することの方が大切なのさ。