・・・がいいのか悪いのかはわからない。
でも、こみ上げてくる気持ちを抑えられない時ってあるんだよな。
僕が診ているのは膵癌や胆管癌の患者さんばっかりだろう。なかなか治せる病気ではない。治療がほんとうにうまくいっていたのか、癌がどこまで進んでいたのか、亡くなられた時は「剖検をさせて下さい」ってお願いするんだよ。
目の前で命のともし火が消えたばかりの身内の方に気持ちを逆撫でするようなことは、我々も本当は切り出したくはない。実際、ご遺体にメスを入れることに生理的に受け入れることができないという方もいる。でも生前病気を治療できなかったので、せめて帰るときは病巣を取り除いて、体を軽くして連れて帰りたいという方もいる。
我々からすると、我々の医学的な勉強のためと医学の発展のため、そして研修医の教育のためという気持ちをご理解頂けるならばという気持ちで、切り出すのさ。
あるとき「じいちゃん」と呼んでいた患者さんがいた。胆管癌で手術が出来なくて、黄疸をステントを入れて治療していた。僕が毎日回診に行くのを楽しみにしていてくれていた。忙しくて少ししか話ができないと、もっとゆっくり話を聞いてくれよとせがんだ。小柄で可愛いおじいちゃんだった。
その方が亡くなって、息子さんに「少しお時間を頂けますか」と切り出した。
場所を設定して、「剖検」という言葉を切り出そうとしたが、ことばが出てこなかった。出てくるのは止めどもない涙である。息子さんはしばしの間黙って待っていてくれた。
「・・・ごめんなさい」ようやく出せた言葉だった。
今までの入院してからの病状をCTなどの写真を診せながら、治療経過をおさらいして、お力になれなくて申し訳ありませんでしたと添えた。そして、申し上げにくいのですがと「剖検」のご理解を頂けないでしょうかと伝えると、息子さんは躊躇なく「どうぞ」と返事を頂いた。
びっくりして、もう一度息子さんと向き直ると、「おじいちゃんが大好きだった西野先生のお願いなら、きっと父さんも「うん」って言うと思うんです。医学の役に立てて上げてください。」
その言葉を聞いて、もう渇いたと思っていた涙腺から、また涙があふれてきた。。
医者として人の前で、患者さんや家族の前で涙を流すのはカッコが悪いと思う。
でも医者も多感な人間なんだよな。
いくら頭がよくても人間味のない医者は本当に患者のことは理解できないように思う。
医療にとって一番大切なものってなんだと思う?
「治療して元気になって帰してあげること・・・」
そういう優等生の返事を期待しているんじゃないだけどな。
別に教科書に出ているわけじゃあない。
でも、僕が思う一番大切なことはsympathy。
相手の立場、気持ちになって考えること。
自分や家族がこの病気だったら、こういう治療を受けたいって、気持ちで考えれば、最善の診断、治療ができるだろう?
もし自分に知識がなければ勉強するだろう。自分で治療が出来なければ治してくれる医者を探すだろう。
医療の原点ってそこにあるんじゃないかと思うんだ。