【剖検】

よかったな。君の誠意が通じたんだよ。

「剖検」
患者さんが亡くなられたときに、我々は患者さんに解剖させて下さいとお願いすることがある。生前の病態がどのようなものであったかを確認させて頂き、治療内容が正しいものであったかを確認し勉強させて頂くためのものです。
膵臓がんで亡くなられた患者さんの娘さんに、「剖検」のご提案をさせて頂いた時に思いもかけない返事を頂いた。
「実は生前、母が申しておりました。研修医の先生にいいお医者さんになってほしい。そのために私が死んだら解剖に供して、先生に勉強してもらってほしい」と。
娘さんと向かい合う僕の後ろで彼は口を真一文字に結んで、肩は小さく震えていた。
Stage IVb。すでに手の尽くせる状態ではない。彼女娘さんもそれは理解していた。彼女は何年かぶりで福島へ帰ってきた。自分の生まれ育った地で最期を迎えるために。
彼はそんな彼女に朝、夕時間があれば部屋に訪れ、話を聞き診察をした。研修医にできること。それはまだ医療ではない。医療と看護の中間だ。それでも残された時間を少しでも有意義に支えてあげたい・・・そんな彼の誠意が通じたのだ。
いいかい、彼女の気持ちを深く受け止めて下さい。そして、君の一生の糧にするんだよ。彼女の篤志に応えるには君がいい医者になるしかないんだ。
君はかけがえのない大切なものを彼女から教わった。
Sympathy。相手の気持ちを思いやるこころ。対面で話をしてもこころはCounter sideに向かい合うのではなく、同じ方向を向くことなのだ。それは医療の原点なのだ。無償の愛と言い換えてもいいかもしれない。心をこめて接することで相手もこころを開いてくれる。
医師という大変な仕事をしていて唯一報われるのが我々の誠意が通じる時だ。決してそれが目的ではないし、めったには経験することではないが、そのような出逢いがあるからこそ仕事が続けられる。
医療の現場では頭がよいだけでは仕事はできない。患者さんという相手がいるからである。相手の病態をよく把握し、説明し納得して頂き(IC:Informed Consent)、治療の選択があり、治療が始まる。
言葉でいうのはたやすいが、その診断をすすめてゆくことや誤解なく過不足のない説明をすることは決して簡単なことではない。

消化器内科を研修するこの三ヶ月間にこのような出逢いがあったことは僥倖だ。特に医師としての成長を形成する時期に患者さんからかけがいのない教えを乞うたのだ。でも、君の姿勢があったからこそその出会いも生まれたのかもしれないね。
「一期一会」そんな言葉が脳裏をかすめる。
たとえ患者さんの治療後に逢うことがなくとも、ぼくらとの出逢いが、患者さんやその家族にとってより幸せを感じれるものであってほしいと切に思う。そのためにも「今我々が出来ること」を精一杯診療をしてゆくしかない。

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